あっという間にタイムスリップ!中国江蘇省の歴史スポット7選

「中国四千年」とも言われ数多くの歴史遺産をもつ中国。東部・江南地区にある江蘇省も例に漏れず数多くの歴史遺産が現存しています。今回はそんな江蘇省の歴史に関連するスポットを時代の変遷とともにご紹介します。

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このまとめ記事の目次

中国・江蘇省って?

中国東部、長江の下流に位置する江蘇省は、約2500年前の春秋戦国時代から現在に至るまで、要衝として中国史の様々な場面で登場します。
古くから商業としてとして中国屈指の繁栄を誇り、教科書にも登場する煬帝の「大運河」がある場所としても有名。さらに辛亥革命後には中華民国臨時政府が置かれた場所でもあります。

そんな場所だからこそ、江蘇省には素晴らしい歴史遺産がいっぱいあるのです。

①虎丘(こきゅう)/蘇州市:春秋戦国時代:(紀元前770-紀元前221年)

春秋戦国時代とは

春秋戦国時代(紀元前770年から紀元前221年)とは、かの有名な始皇帝が天下を統一し、「秦」を作り上げる前の時代です。この頃は中国全土で国が勃興しては滅亡・吸収されるということが起こっており、中国全土で戦争が行われていました。孔子や孟子が活躍していたのもこの頃です。

人気漫画『キングダム』もこの時代を描いたもの、と言えばわかっていただけるでしょうか? ちなみにその頃の日本は弥生時代でした。

虎丘(こきゅう)

虎丘とは2400年前の春秋時代、越国との戦いに敗れた呉の国の王、闔閭(こうりょ)が埋葬されているお墓です。境内は門や回廊、建物が立ち並び、とても荘厳。
宋代の詩人、蘇軾(そしょく)による 「蘇州に遊びて虎丘に遊ばずは遺憾なり」 とその見事さを称えたそう。
境内には数多くの必見スポットがありますが、こちらは剣池への入口に至る道にある書です。
唐代の著名な書家、顔真卿(がんしんけい)が書いたと言われるこの書は傑作とも言われており、一見の価値ありです。
もちろん建物が素晴らしいだけでなく、風光明媚な場所としても有名。境内は数多くの木々があり季節に応じて美しく姿を変えますし、池や水辺も数多くありひんやりとした空気を味わうことができます。
そして虎丘の最大の観光スポットがこの斜塔。「東洋のピサの斜塔」とも言われているこちらの斜塔は宋(そう)の時代に完成し、地盤沈下の影響で約400年前から傾き始めたものなんだそう。観光客が絶えません。

そして虎丘の最大の観光スポットがこの斜塔。「東洋のピサの斜塔」とも言われているこちらの斜塔は宋(そう)の時代に完成し、地盤沈下の影響で約400年前から傾き始めたものなんだそう。観光客が絶えません。

②三国城/無錫市(むしゃく):三国時代(およそ200-300年)

三国時代とは

三国時代は漢が滅んでから晋ができるまでの約100年間を指します。魏・呉・蜀の三国が天下統一を争った時代で、『三国志』として書籍やゲームにもなっているので、日本で最も知られている時代かもしれません。

三国城

三国城は三国時代を再現した巨大な歴史テーマパークです。魏・呉・蜀が覇権を争った時代をモチーフに作られており、場内には模型や像などが数多くあり、雰囲気は抜群。三国志好きにとっては必見です。
また三国時代に起こったであろう戦いを真似た戦闘ショーも大人気です。三国時代や三国志を知らない方でも馬上の決闘シーンなど迫力満点の歴史ショーを楽しむことができます。

③甘露寺(かんろじ)/鎮江市(ちんこう):三国時代(およそ200-300年)

三国志ファンには有名な北固山。そんな北固山の中に甘露寺は位置します。甘露寺はかの有名な劉備がお見合い、結婚をした地であり、境内には美しい庭園があります。
また劉備と孫権が曹操を打ち破るための策を考えた場所としても有名。歴史好きならぜひ行ってみてくださいね!
ちなみに甘露寺の近くには、試剣石という有名な石があります。劉備が荆州に帰ることと天下統一の可能性を占って、石を斬ったら、斬れてしまったというもの。結局劉備の天下統一はなりませんでしたが、斬れ痕が入った石は必見です。

④西津古渡街(さいつことがい)/鎮江市:六朝時代(222-589年)

六朝時代とは

六朝時代というのは、現在の江蘇省南京市にあたる建業(建康)に都をおいた6つの王朝の時代のことを総称していいます。
ちなみに六朝とは三国時代の呉(ご)・東晋(とうしん)、南朝の宋(そう)・斉(さい)・梁(りょう)・陳(ちん)の6つであり、約350年にわたって、この地は栄えました。日本ではまだ弥生時代から古墳時代に変わる頃です。

西津古渡街(さいつことがい)

西津渡は長江の下流にある船着き場で海へ出る時の拠点でもあり、海から北上するときの拠点でもありました。
それゆえ古来からこの地をめぐって様々な国が争ったのだそう。それゆえ六朝時代から宋(そう)、明(みん)、清代あらゆる時代の歴史遺産が残っています。
そんな数多の王朝の遺産を残す西津古渡街ですが、別名「宋街」といわれるように、宋の時代の街並みは色濃く残っています。ちなみに中国が宋の時代はかのマルコポーロが世界を旅してまわった時代。マルコポーロもこの西津渡を訪れたそう。
ちなみにこちら、健康食品の「やずや」のCMのロケが行われた場所でもあります。訪れてみると、「何か見たことあるぞ」という感じになるかもしれませんね。
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