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キリストが食事をした?「最後の晩餐の部屋」古都エルサレムの観光名所

最後の晩餐の部屋(Last Supper Room Coenaculum)は、イスラエル東部のパレスチナ自治政府に位置する都市エルサレムの観光名所です。かの有名なイエス・キリストが処刑される前に弟子たちと最後の食事をとったとされる部屋で、入場は無料です。原始キリスト教の集会部屋を起源とするビサンチン教会がその前身で、フランシスコ会の修道院として使用されたり、イスラム教のモスクだった時代もあります。同じ建物の下階にはダビデ王の墓もある古都エルサレムの聖地「最後の晩餐の部屋」をご紹介します。

このまとめ記事の目次

最後の晩餐の部屋とは

イスラエル東部に位置するパレスチナ自治政府の都市エルサレムにある「最後の晩餐の部屋(Last Supper Room Coenaculum)」は、レオナルド・ダヴィンチの名画でも知られるイエス・キリストとその弟子がユダヤ教の過ぎ越し祭を祝って食事をしたといわれる場所です。ユダヤ教の聖地のひとつに数えられている「ダビデ王の墓(King David's Tomb)」の建物の上階にあるヴォールト天井の小さな空間で、入場は無料です。
Photo by zeevveez
「最後の晩餐の部屋」は、紀元130年頃に存在した原始キリスト教の集会場を起源として、4世紀に建てられた教会の跡と考えられています。十字軍によって12世紀に再建され、14世紀から16世紀にかけてフランシスコ会の所有となりました。のちのオスマントルコ時代にはモスクとして使用されていました。南側の壁にはイスラム教の聖地・メッカの方角を示す“ミハブ(Mihrab)”があります。
Photo by tkksummers

ユダヤの伝統「過ぎ越し祭」とは

イスラエルの民がエジプトの奴隷だった頃、彼らを約束の地・エルサレムへと導くため、神のお告げを携えた80歳のモーセは大胆にもエジプト王ファラオに奴隷の開放を求めました。しかしファラオが聞き入れるはずもなく、神の怒りに触れたエジプトの町は「10の災い」に見舞われます。ファラオにクリティカル・ダメージを与えた決定打は、その最後の災いである“ファラオの子を含む長子を皆殺しにする”というものでした。
イメージ画像Photo by h2theE

イメージ画像

神はエジプトの家を見分けるため、イスラエルの家の戸口に子羊の血を塗るよう命じました。夜になるとエジプト人には災いが及び、目印のあるイスラエルの家は素通りされたといいます。キリストの象徴である子羊の血と十字架の死を関連付ける逸話として、またエジプトを脱出する際はパンを発酵させる時間もなかったとの伝承から、“種なしパン”は今もユダヤ教やキリスト教の儀式には欠かせないアイテムとなっています。

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シオンの山の頂上

Photo by Jorge Lascar
「最後の晩餐の部屋」は、旧市街のシオン門(Zion Gate)から徒歩数分の“シオンの山(Mount Zion)”と呼ばれる場所にあります。聖書の記述によれば、「シオン」とは要塞を意味する言葉で、もともとシオンの山はソロモン王がエルサレム神殿を建てた「神殿の丘」をさします。そこにはかつてエブス人の要塞があり、ダビデの町と呼ばれました。現在はイスラム教の聖地「岩のドーム」が建っています。
Photo by paularps
「最後の晩餐の部屋」がある“シオンの山”は後世に名付けられたもので、シオン門(旧市街)の外に位置します。12世紀に建てられた「最後の晩餐の部屋」は、もちろん実際にイエスが食事をした部屋ではなく、下階にあるダビデ王の墓についても真偽は定かではありません。ダヴィンチの絵画のモデルというわけでもありませんが、建物の地下には2世紀頃のものと思われる東ローマ帝国時代の舗道跡があります。
Photo by krebsmaus07

「最後の晩餐」の意味とは

神の子を名乗って病人を癒し、天の王国について語るイエスは、形骸化した信仰を守る宗教家たちから疎まれ、民衆を煽ってローマへの反乱を企てる政治的指導者の1人として訴えられていました。一方でイエスがローマの圧政から自分たちを救ってくれると思い込んでいた民衆は、無抵抗で処刑されるイエスに幻滅し、騙されたと言って石を投げました。弟子たちからも見放されてしまいます。
そのむかし「最後の晩餐の部屋」で行われたとされる儀式は、死を覚悟したイエス・キリストが祈りを捧げたのち、12人の弟子たちに自らの死を予告してぶどう酒とパンを与え、ユダ・イスカリオテの裏切りを預言するという新約聖書の重要な場面です。聖書の記述によれば、イエス・キリストはこれを記念して今後も行うようにと言い残したそうです。

いかがでしたか

Photo by krebsmaus07

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