キリストの奇跡スポット!「シロアムの池」の見所とエルサレムの歴史

イスラエル東部の都市エルサレムにある「シロアムの池(Siloam)」は、新約聖書で救世主として知られるイエス・キリストが盲人を癒したといわれる歴史的スポットです。イスラエルの複雑な歴史の中に長く埋もれていたこの遺構は、2004年(平成16年)の工事中に偶然発見されたもので、紀元前1年の初頭に建設されたローマ様式の大規模な石造プールだったといわれています。周辺にはこれまでシロアムの池と考えられていた溜め池や、ユダ王国のヒゼキア王が開発した世界最古の水道施設なども残る応えタップリの人気スポットです。

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このまとめ記事の目次

シロアムの池とは

シロアムの池(Pool of Siloam)は、中東イスラエル東部に位置するパレスチナ自治政府の都市・エルサレムにある観光地で、新約聖書にも登場する世界的な歴史スポットです。古代ギリシャ語で“遣わされし者”を意味するというシロアムの池は、当時アッシリア帝国の属国として生き延びていた古代イスラエル王国の片割れ「ユダ王国(南王国)」によって造営された地下水路の一部です。
シロアムの池の歴史は古く、紀元前700年頃にまでさかのぼります。かつてソロモン王によって栄華を極めたイスラエル王国は、ソロモン王亡きあと内戦で南北に分裂し、北王国は列強によって滅ぼされてしまいました。ユダ王国はアッシリアの属国となって独立を保っていましたが、いつもアッシリアの侵入に脅かされていたのです。

ヒゼキヤ・トンネルの終点

常に宗主国の顔色を伺いながら国力を蓄えていたユダ王国のヒゼキヤ王は、首都エルサレムの生命線ともいえる水源「ギボンの泉(Gihon)」を敵から守るために封印し、岩盤をくり抜いた地下水路で城壁内に水を引き入れました。そのトンネルの終点(出口)が「シロアムの池」といわれていた場所です。ところが、2004年(平成16年)に従来の位置よりも100メートルほど南東の下流で、新たな遺構が発見されました。
ギボンの泉を水源とする手掘りの水路は「ヒゼキア・トンネル」と呼ばれ、現存する世界最古の水道施設として今も豊かな湧き水を運んでいます。両側から掘り進めたとみられるトンネルの全長は533メートルにもおよび、高低差は2メートルほどあります。途中で幾度も曲がりくねっていることから、お互い声を掛け合って位置を確認したともいわれています。

シロアムの池の発掘現場

紀元前1世紀初めに建設されたと考えられる新たなシロアムの池の遺構は、この地が考古学者の説を覆す大規模なローマ様式の石造プールだった名残をとどめています。池の周辺からは紀元前70年当時に使用されていたという金貨などの遺物も数多く出土しています。それまでシロアムの池と考えられていたスポットは、新遺跡の登場で「下の池」と呼ばれるようになりました。
かつてのユダヤ人たちもエルサレム巡礼の拠点として利用していたというシロアムの池では、現在ヒゼキア・トンネルをめぐる見学ツアーも行われています。次第に細くなっていくトンネルや、深い所では大人の腰のあたりまで水が達する水道など、当時すでに鉄器が開発されていたとはいえ、長い距離を苦労して掘り進んだであろう生々しい手作業の痕跡が当時の苦労を物語ります。池に降りるための石段も見応えがあります。

イエス・キリストの奇跡

シロアムの池が今も多くの観光客を集める最大の理由は、イエス・キリストがこの場所で物乞いの盲目を瞬時に癒したとの言い伝えによります。新約聖書によれば、身体の障害は悪行の報いという古い迷信を信じ切っている弟子が「生まれつきの盲目は先祖の罪に対する罰なのか、本人の罪のためか」と尋ねたのに対し、イエスは迷信を否定して奇跡を見せました。イエスに言われた通りシロアムの池で目を洗った盲人は見えるようになったそうです。
今までシロアムの池とされていた場所は、ヘゼキヤ王がビサンチン時代に建設した貯水池で、新バビロニアによる紀元前586年の攻撃で破壊されたと考えられます。イエスが生まれた紀元前4年頃には池が存在しなかったことから、盲人を癒した奇跡も寓話だといわれていたのですが、晴れてその遺構が発見されたというわけです。奇跡は本当に起きたのかもしれませんね。

いかがでしたか

世界最古の水道施設・シロアムの池をご紹介しました。ただの“下の池”になってしまった旧シロアムの池ですが、1880年(明治13年)にはトンネルの出口付近で当時の工夫が掘ったと思われるヘブライ語の開通記念碑(シロアム碑文)も発見されています。エルサレム観光の際はチェックしてみてくださいね。

基本情報

所在地:31.770689, 35.234750
アクセス:ע.דודח.גבעתי(A.dodh.gbati)バス停下車

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